ブラック業界であると言われる教員を就職先として選んだのか、それは彼ら生徒たちの人生の分岐点に関わることができるからだ。ある生徒との実話も少しお話しよう。
なぜ教員になろうと思ったか
ブラック業界なのに・・・
教員免許を取得する人は多くとも、実際に教員になるという人は少ないのではないだろうか。現在では、教員採用試験の時期を前倒しにしたり、採用試験を少し変えてみたり様々な対策が打たれている。
指導に当たれば体罰や暴言であると言われ、担当すべきでない事案は教員の業務であり、サービス残業をさせられている「教員」になぜなろうと思ったのかを今日は語ろうかと思う。
変化し続ける環境で波瀾万丈
毎日がハプニングで何が起こるか予想がつかないそんな毎日に「楽しさ」「面白さ」を感じている。パソコンと向き合い、機器とにらめっこしながらする仕事は私にとってはとてもつまらない。
昨日伝えたことは忘れるし、今日話していたことはきっと明日には変わっている。そんな毎日が面白くて私には新鮮で刺激的なのだ。
人生の分岐点に関わることができる
心やからだが成長していく時期に、密に関わることができるのは教員の特権だろう。悩みながらも毎日一生懸命過ごしていく子供たちの成長に関わり、彼らの手助けができる。こんな素晴らしい仕事はない。
私たちが言った何気ない一言で、彼らの人生は良くも悪くも変化する。可能な限り、彼らには明るい未来を過ごしてほしい。その一歩を踏み出すサポートができる仕事はやはり教員なのではないか。
進路で悩んだとき、部活動で悩んだとき、人間関係で悩んだとき、どの瞬間でも手助けできるのは教員しかないと感じている。
その少しの変化に気づくことができるのもまた、教員しかいないだろう。いつまでも誰かの青春のイチページに関わることができ、その成長を見届けることが出来る。その責任は計り知れないが、その喜びもまた計り知れない。
教育実習で言われた「今まで出会った先生の中で一番良い先生だった」
私が教員になる決意をしたのは、大学4年生の教育実習だった。担当する高校3年生のある男子生徒から言われた言葉が私の人生を変えた。
彼は私に「今まで出会った先生の中で一番良い先生だった」と言った。
彼は、過去に壮絶ないじめにあっていた。学校の先生は誰一人味方になってくれず、彼のことを否定し続けたらしい。また彼の両親も彼を否定し続けていたようだ。
彼は人生に生きる意味を感じられなかったようで、25歳でこの人生に終わりを告げようとしていたと言った。
実習終盤にさしかかったある日の放課後、先生に相談があると私に話しかけてくれた。先述した内容を私に伝えてくれた。
どうして私に言ってくれたのか、と尋ねると彼は
「先生は常に笑顔で毎日過ごしていた。その笑顔の裏になにがあるか僕は分からないけれど、信じてみたいと思った。僕の過去を聞いても何も変わらず接してくれるという自信があった。今みたいに、先生は何一つ表情変えず、態度も変えず、僕の話を聞いてくれた。」
「先生の生徒に向き合う姿勢は、いままで出会った先生の中で一番いい先生だった。本当に良い先生になると思う。」
といった。
私はただひたすらに彼の話を聞いていただけ。だが、彼にとっては理想の教師であった。こんな風に生徒の人生に関われる教員という仕事はなんて素晴らしいのだ。こう思うようになった。
今彼は社会に出て、もがきながら毎日を過ごしているだろう。
ブラックだといわれる教員だが、彼ら生徒に与えられる何かは他の仕事では代えられない。
もし生まれ変わったとしてもまた教員を目指すのだろうなあ。
あのときの生徒さんへ、今も元気に毎日楽しく過ごしていますか?
過去は変えられないけれど、変えられる未来はある。もし今もつまずいていたとしても、可能性あるあなたの未来に期待してみてね。悪くないな、と思えたなら今はまだそのときじゃない。
私もあなたの言葉に力をもらいながら、今も先生として働いています。
いつかもし、どこかで出会えたら「あんなこともあったね」とお酒片手に話ができるといいね。
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